Sailboat

ヨットを操船するiPhoneのゲームアプリである。ゲームの類にはあまり興味がないし、ましてやiPhoneの小さい画面でゲームなどしても面白くないだろうと思っていたが、このSailboatはなかなか良く出来ている。Yachtsman、Steersman、Skipperと三つの操作モードがあり、定められた時間内にマーク(ブイ)を回航してフィニッシュすると次のモードへ進める。

最初のYachtsmanはシート(ロープ)を操りメインセールのトリムだけを行い、Steersmanはラット(舵輪)の操作のみを行う。Steersmanとはあまり聞き慣れない言葉なので、調べると舵手と言う意味がある。ヨットのポジション的にはHelmsman(ヘルムスマン)になる。そしてSkipper(スキッパー)意味は艇長であるが、二人乗りのディンギーではヘルムスマンにあたる。

このゲームではSkipperになると右手でラットを操り、左手でシートを出したり引いたりしてメインセールをトリムする。一人乗りのディンギーを帆走させている感覚で、風向きを見ながら船をコントロールして、決められたコースのマークを回航し、フィニッシュまでのタイムを競う。実際のヨットでもそうだったが、マーク回航のショートよりロングの航海のほうが好きだった。


向かい風でもクローズドホールドでどんどん上って行く


ちょっとセールが開きすぎだが、このあとジャイブしてマーク回航


風を受けないとシバーして進まない


このゲームをやっていて思い起こすのが、過去に社会人ヨットチームに所属していた頃の懐かしい思い出である。最初に乗った船は36フィートのクルーザーで、クラブレースに参加したりクルージングに出かけたりと週末は決まってハーバーで過ごしていた。一通りヨットのあれこれが分かって来た時に、同じチームのクルーからヨット回航のアルバイトを持ちかけられた。時期は確かゴールデンウィークの頃だった。

アルバイトの内容は、GWの後半に油壺でヨットレースの大会があるので、それに合わせて関西から遠征する船を油壺ヨットハーバーまで回航(乗って運ぶ)すると言う。期間は確か二泊三日予備日1日で報酬は帰りの新幹線代は別で1万円との事だったが、お金なんかはどうでもよかった。ヨットで長距離の航海に出られると言うことだけですぐに飛びついた。

艇長(プロの回航屋)以下、クルー3名の計4人で、ヨットは当時最新鋭のNZのエリオットで新艇なので、レースに備えてのシェイクダウンも兼ねての回航である。大阪湾から紀伊水道を抜けて潮岬、石廊崎三浦半島を目指す。陸からの風の影響を受けないように沖へ出て、黒潮に乗って一気に東へ針路を取るというコースだった。

食料、水、燃料を積み込んでオーナーに見送られながらハーバーを出航した。最初の難関は紀伊水道、大型船の往来が多く、メインセールを上げ機走するが、風と複雑な潮と波で船は大きく揺れてすぐに船酔いしてしまう。紀伊水道を抜けると初めての外洋である。今までは湾内や内海でのセーリングばかりだったので、360度見渡しても海しか見えない外洋に興奮し、今までとは全く違う冒険的なヨッティングである。船は強風を受けて大きく傾くが、風速風向ともに安定しているので、慣れてくると徐々に恐怖心も薄れ船酔いも治まり、艇速もぐんぐん上がり気分もハイになる。今までのヨッティングはなんだったのか。井の中の蛙とは正にこのことだ。

二名一組で、24時間を3時間ずつ交代でワッチ(見張り)と舵を握る。潮岬沖を通過する頃には風と共に雨が降り出し、風雨はどんどん強くなる。艇長は危険と判断して勝浦港へ緊急避難する。夕方に入港し船で仮眠をして、風雨が収まった夜に再び港を出るが、港を出た途端に猛烈な突風にあおられて船は大きく傾き、マストにしがみついてセールを降ろしていると、艇長が全員ハーネスを付けて落水に注意しろと叫んでいる。今思えば当時はむちゃだった。外洋に出てもライフジャケットやハーネスを付けていなかったのだから。この数年後に当時日本を代表するヨットマンの難波誠氏が、外洋レース中に落水して行方不明となる事故があり、着用義務があったライフジャケット、ハーネスを付けていなかったと後に非難を受ける。還らぬ人への非難は酷だが、この事故を機にハーネス式のライフジャケットの着用が広まったように思う。

船は再び勝浦港へ引き返す。港へ戻ると舫いを取ってくれる人がおり、こんな夜中に天候も悪い中、ヨットが出航していくから心配して待っていてくれたそうで、案の定、戻ってきたねと言われて、なんともお恥ずかしい。しかしとても親切な方で、自分の所有する大型のクルーザーに招いて暖かい飲み物を出してくれて、今晩はこの船で寝ていいと言ってくれるが、そこまで甘えられないと丁重にお断りしてヨットに戻る。薄いマットレスの簡易ベッドでも水平に眠られるだけでも有難い。

早朝に勝浦港を出て、目指すは石廊崎。風は追い風で舵を交代しながらトップスピードの競い合いをする。波を利用して船をサーフィングさせると面白いように艇速は上がる。記憶は曖昧だが20ノット近く出ていたのではないだろうか。セーリングは順調で石廊崎沖を通過する頃に日が昇り始め、相模湾に入ると定置網が多いのでセールを降ろして機走にしようとエンジンのスタートボタンを押すが、エンジンがかからない。風は相変わらず強く、ベアポール(マストにセールが上がっていない状態)でも風を受けてどんどん流される。もう目前には定置網の海域が広がっている。このままでは定置網に突っ込んでしまう。艇長がセールを上げろと叫んでいる。なんとか間に合った。

相模湾は湾内と言え相当風が強いという印象を受ける。普段は大阪湾でのセーリングだから無理もないか。いったん沖へ出してエンジンの修理をして、無事に機走で油壺ヨットハーバーへ入港する。ハーバーへ入る水路で、出航するヨットとすれ違う。こちらはもうヘロヘロだが、向こうは爽やかに手を振ってくる。手を振り返しながら、J24(24フィートの小型のレーサー)でこんな強風の中でも練習に出て行くのか。さすが油壺のセーラーは凄いな。

ようやく油壺ヨットハーバーに到着。かつて裕次郎氏が所有していたコンテッサXが舫われている。いつか来て見たかった聖地、油壺にヨットで来られるなんて感無量である。下船の準備をしていると先ほどすれ違ったJ24が戻ってきた。さすがにあの強風では無理があったようだ。